政府が5年で1兆円の投資を表明したリスキリング。多くの企業が「うちもやらなきゃ」と取り組みを始めていますが、実際にやってみると想像以上にうまくいかない。そんな現実に直面している企業が少なくありません。
パーソル総合研究所の調査によれば、就業者の約5割が「業務外に学習しない」と回答。eラーニングを導入しても、外部研修を用意しても、肝心の社員がなかなか動いてくれない。人事部だけが焦り、経営層からは「投資対効果は?」と問われる。そんな状況に陥っている担当者の方も多いのではないでしょうか。
本記事では、リスキリングで失敗する企業に共通する5つの落とし穴と、それを回避するための具体的な改善策を解説します。
なぜリスキリングが注目されているのか
経済産業省の試算では、2025年までにIT人材が約43万人不足すると予測されています。DXを推進したくても専門人材を採用できない現実が、多くの企業を「社内人材の育成」へと向かわせています。
さらに、レガシーシステムの刷新が進まなければ、2025年以降に年間最大12兆円の経済損失が生じるという「2025年の崖」問題。そして2022年10月、岸田首相が「個人のリスキリング支援に5年で1兆円を投じる」と表明したことで、リスキリングは一気に企業の重要課題として浮上しました。
実際、企業の約40%がすでにリスキリングを実施済み。取り組み自体は確実に広がっています。しかし、問題はここからです。
リスキリング失敗の5つの落とし穴
取り組みは始めたものの、期待した成果が出ない。多くの企業が陥る失敗パターンには、共通する落とし穴があります。
【落とし穴1】目的が不明確で「何のために学ぶか」が伝わっていない
最も多い失敗パターンがこれです。経営層が「DX人材を育成しろ」と号令をかけ、人事部が慌てて研修プログラムを用意する。しかし、肝心の現場社員には「なぜ自分が学ばなければならないのか」が腹落ちしていません。
人は「自分ごと」にならない限り、本気で学ぼうとはしません。「DXのため」「会社の未来のため」といった抽象的な理由では、日々の業務に追われる現場社員の心は動かないのです。
改善策:事業戦略と連動させた明確な目的設定
必要なのは、もっと具体的で切迫感のある目的設定です。
- ❌ 悪い例:「DX人材を育成する」
- ⭕ 良い例:「来期立ち上げる新規事業で、顧客データ分析を自社で回せる体制を作る。そのために3ヶ月でデータ分析の基礎スキルを習得する」
後者なら、「自分がやらないと新規事業が始まらない」という当事者意識が生まれます。
【落とし穴2】業務と学習が分離し、実践の場がない
eラーニングを受講する。外部セミナーに参加する。資格も取得した。でも、学んだことを実務で使う機会がない。これでは、せっかくのスキルは定着しません。
人は「使わない知識」をすぐに忘れます。特に、日常業務とまったく関係のないスキルを学んでも、実践の場がなければ3ヶ月後には覚えていません。
改善策:学習→実践→フィードバックのサイクル設計
重要なのは、学んだスキルをすぐに実務で使える環境を作ることです。
例えば:
- データ分析を学んだら、実際の営業データを分析するプロジェクトにアサイン
- プログラミングを学んだら、社内の小さな業務自動化ツール開発を任せる
学習と実践を往復することで、スキルは本当に身につきます。そして、実務で成果が出れば、「学んで良かった」という実感が次の学習意欲を生むのです。
【落とし穴3】学習の継続を支える仕組みがない
最初の1ヶ月は盛り上がります。しかし、2ヶ月目から受講率が下がり始め、3ヶ月目には一部の意識高い社員しか続けていない。この失速パターン、多くの企業が経験しているのではないでしょうか。
日常業務の忙しさに負けるのです。「時間があるときに自主的に学んでください」では、永遠に時間は生まれません。緊急の業務が飛び込んでくれば、真っ先に削られるのが学習時間です。
改善策:学習時間の確保、進捗の可視化、コミュニティ形成
継続させるには、「仕組み」が必要です。
① 学習時間を業務時間として確保する
- 毎週金曜日の午後は「学習タイム」として会議を入れない
- 月10時間の学習時間を業務として認める
② 進捗を可視化して仲間の存在を感じさせる
- 学習進捗ダッシュボードで「みんなも頑張っている」を見える化
- 週次で学んだことをチーム内で共有する場を設ける
③ 学習コミュニティを作る
- 同じスキルを学ぶ仲間でグループを作り、情報交換できる場を提供
一人で孤独に学ぶのは辛い。でも、仲間がいれば続けられる。この心理を活かすのです。
【落とし穴4】学習成果が評価・報酬に反映されない
頑張って勉強しても、給与は変わらない。昇進にも影響しない。それどころか、学習に時間を使っていると「仕事をサボっている」と見られる。こんな環境で、誰が本気で学ぼうと思うでしょうか。
人は「報われる行動」を優先します。学習よりも目の前の業務をこなした方が評価される環境なら、誰もが業務を優先するのは当然です。
改善策:評価制度への組み込み、キャリアパスの明示
学習成果を正当に評価する仕組みを作りましょう。
① スキル習得による手当支給
- データ分析スキル習得で月5,000円の手当
- 資格取得で一時金支給
② 評価項目に「スキル開発」を追加
- 目標設定時に「今年習得するスキル」を明記
- 半期評価でスキル習得度合いを評価対象に
③ キャリアパスを明示
- 「このスキルを習得すれば、こういう職種・ポジションに挑戦できる」を示す
- 社内公募制度と連動させ、スキルが新しいチャンスにつながることを見せる
「学ぶことが損にならない」という信頼感が、学習意欲の土台になります。
【落とし穴5】画一的なプログラムで個人のニーズを無視
全社員に同じeラーニングを受けさせる。新入社員もベテラン社員も、同じ研修を受ける。一見、公平に見えますが、これも失敗の原因です。
人には、それぞれ異なる学習スタイル、興味関心、キャリア志向があります。すでに基礎知識がある人には初級コースは退屈ですし、将来マネジメント志向の人に技術スキルばかり学ばせても響きません。
改善策:パーソナライズされた学習プラン、選択肢の提供
個人のレベルとニーズに合わせた柔軟な設計が必要です。
① スキルマップに基づいた個別プラン
- 現在のスキルレベルを診断
- 本人のキャリア志向をヒアリング
- 「あなたに必要な学習プラン」を個別に提示
② 複数コースの用意
- 初級・中級・上級の3レベル設定
- 技術系・マネジメント系・ビジネス系など、複数の選択肢
③ 学習スタイルの多様化
- 動画、テキスト、ワークショップ、OJTなど多様な形式
- 自分に合ったスタイルを選べる自由度
「自分のために用意されている」と感じられれば、学習意欲は格段に高まります。
成功企業の共通点
リスキリングで成果を出している企業は何が違うのか。成功企業に共通するポイントを見ていきましょう。
事業戦略と人材育成の一体化
成功している企業は、「リスキリングのためのリスキリング」をしていません。「3年後にこうなりたい」という明確な事業ビジョンがあり、そのために必要なスキルを逆算して育成しています。
学習→実践→フィードバックのサイクル構築
座学だけで終わらせません。学んだスキルを実践する小さなプロジェクトを用意し、その成果をチームで振り返る。この繰り返しで、スキルを確実に定着させています。
経営層のコミットメントと継続的な関与
トップが「やれ」と言って終わりではありません。定期的に進捗を確認し、頑張っている社員を表彰し、成果を全社に共有する。経営層が本気で関わり続けることで、「これは一時的なブームじゃない」というメッセージを発信しています。
具体的な成功事例
Amazonは、2025年までに10万人の従業員をリスキリングすると発表。一人当たり約75万円という高額投資を行っています。
非技術系の人材を技術職に移行させる「アマゾン・テクニカル・アカデミー」、IT系エンジニアがAIなどの高度スキルを獲得する「マシン・ラーニング・ユニバーシティ」など、目的別に複数のプログラムを用意。
重要なのは、学習の先に明確なキャリアパスが見えていることです。スキルを習得すれば、より高度な職種にチャレンジできる。この未来が見えるから、社員は本気で学ぶのです。
自社のリスキリングを立て直す3ステップ
では、具体的に何から始めればいいのか。自社のリスキリング施策を立て直す3ステップを紹介します。
【STEP1】現状診断:どこに問題があるか見極める
まずは自社の現状を客観的に把握しましょう。
データ分析
- リスキリング施策の受講率は?
- 実務でスキルを活用している割合は?
- 具体的な成果は?
社員へのヒアリング
- なぜ学習に時間を使えないのか?
- 研修内容は実務に役立っているか?
- どんな学習スタイルなら続けられそうか?
数字と現場の声で、問題の所在を明確にします。
【STEP2】設計の見直し:DXと人材育成を統合する
必要なスキルの棚卸し
「何となくITスキル」ではなく、具体的に必要なスキルを洗い出しましょう。優先順位をつけ、段階的に育成する計画を立てます。
学習内容と業務プロジェクトの連動設計
学習と実践を往復できる設計にしましょう。
例:
- 第1週:データ分析の基礎を学ぶ(座学)
- 第2週:実際の営業データを使って分析実習
- 第3週:分析結果を営業会議で発表
- 第4週:フィードバックを踏まえて改善
このサイクルを回すことで、スキルは確実に定着します。
【STEP3】仕組み化:継続的に機能する体制を作る
ナレッジマネジメント基盤の整備
学んだことを個人に留めず、組織の資産として蓄積する仕組みが必要です。社内wikiやナレッジ共有ツールを活用し、実践事例を共有しましょう。
評価制度への組み込み
スキル習得を評価項目に加え、昇給・昇格の判断材料にする。制度として組み込むことで、「当たり前の文化」になります。
PDCAサイクルの構築
四半期ごとに効果測定を行い、施策を改善していきましょう。完璧を目指すのではなく、小さく改善を積み重ねる姿勢が大切です。
まとめ
リスキリングは、単に研修プログラムを用意すれば成功するものではありません。
DX推進という「実践の場」と、人材育成という「スキル習得」を車の両輪として回していくことが成功の鍵です。
本記事でご紹介した5つの落とし穴は、多くの企業が陥りやすいパターンです。
- 目的が不明確で「何のために学ぶか」が伝わっていない
- 業務と学習が分離し、実践の場がない
- 学習の継続を支える仕組みがない
- 学習成果が評価・報酬に反映されない
- 画一的なプログラムで個人のニーズを無視
特に「DX推進とリスキリングが別々に進んでいる」ことは、最も見落とされがちな問題です。
まずは自社の現状を冷静に分析し、どこに課題があるかを見極めましょう。そして、技術面と人材面の両方から統合的にアプローチすることで、真に機能するリスキリング施策を構築できます。
完璧を目指す必要はありません。小さく始めて、PDCAを回しながら改善していく。その積み重ねが、やがて「学ぶ文化」を組織に根付かせていくのです。
